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脱出不能なヘビメタ界:ニール・マーレイ、コージー・パウエル…

ハード・ロック畑で活躍するミュージシャンで、元々は違う分野でデビューしていた人は多い。ミュージシャン/プレイヤー自身はあまりジャンルというものを意識していないはずだが、ハード・ロック/ヘヴィ・メタル分野で名を上げてしまうと、なぜか一生そのジャンルに捕らわれてしまう事が多い。

ニール・マーレイというベーシストがいるが、元々はカンタベリー系プログレ/ジャズ・ロックの人で、ギルガメッシュ、ナショナル・ヘルス、コロシアムII、そしてアラン・ホールズワース擁するビル・ブラッフォードのファースト・ソロなどに参加。ところが以前共演した経験のあったバーニー・マースデン(g)の推薦でホワイトスネイクに正式加入した後には、(BOW WOW改め)VOW WOWに参加、そしてブラック・サバス、(その間ブライアン・メイのバンドにも在籍し1998年の来日時にはボトムラインにも出演)、2008年からはマイケル・シェンカー・グループで活動するなど、今やHR/HM界に欠かせない名ベーシストである。


『National Health』

ニール・マーレイやゲイリー・ムーア(g)らとコロシアムIIで活動していたジャズ・ロック系キーボーディストのドン・エイリーも、ブラック・サバスの『ネヴァー・セイ・ダイ』にレコーディングに参加した後、レインボーの正式メンバーとなり、オジー・オズボーン、そしてジョン・ロード脱退後のディープ・パープルの一員として収まった。まさにHR/HMの王道を行くミュージシャンとなったのだ。

そのジョン・ロードも、第一期のディープ・パープルを聴けば分かるように、特にハード・ロックに特化したミュージシャンではなかった。パープルがメンバー・チェンジ後、リッチー・ブラックモア主導のハード・ロック路線を目指していた時期に自作の協奏曲のプロジェクトを進め、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演で成功を収めた。しかしバンド、特にリッチーの本来目指していた方向性とは違いが大きかった。そして同時進行していたアルバム『イン・ロック』がリリースされると大当たりし、ディープ・パープルは一躍ハード・ロックを代表するスーパー・バンドになった。結局、ジョン・ロードは、その後パープルのキーボーディストとして落ち着き、解散後はペイス・アシュトン・ロードを経てホワイトスネイクに加入、そして引退するまで再結成ディープ・パープルに在籍し、HR/HM界のハモンド・オルガンの名プレイヤーとしての生涯を全うした。


『ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』

鋲付リスト・バンドがトレードマークのパワフルなドラマー、コージー・パウエルも第二期ジェフ・ベック・グループでは、ファンキーでソウルフルなグルーヴを聴かせていた。しかし、リッチー・ブラックモア(またか!)率いるレインボーに正式加入。極太スティックをレギュラーグリップでプレイする雄姿がロック少年達を狂喜させた。その後は、マイケル・シェンカー・グループ、ホワイトスネイク、ブラック・サバスなどを転々とし、HR/HM界の渡り鳥としてドラム人生を送ったのだった。

リッチー・ブラックモアによってHR/HM界に引き込まれたミュージシャンは少なくない。「ハード・ロックは音楽もファッションも含めて大嫌い!」と公言していたグラハム・ボネットも、またその一人だ。R&Bやポップス志向だったが、圧倒的な声量と声域を持っていたため、HR/HMの高域を歌う事も可能ではあった。1969年マーブルスでデビューした当時の超絶ヴォーカルを、後に耳にしたリッチーが気に入りレインボーに勧誘。ハード・ロッカーらしからぬ容姿はお気に召さなかったらしいが、とにかく正式加入させた。その後はマイケル・シェンカー・グループ(訳ありのためレコーディングのみ)、アルカトラス、インペリテリ…という具合に、自分のスタイルをキープしながらも、HR/HM界を代表するヴォーカリストとしていまだ健在である。

リッチーと言えば、イアン・ギランの名前は外せない。
ジャヴェリンズを経てエピソード・シックスで活動していたギランは、その後期メンバーだったミック・アンダーウッドによって、パープルの次期ヴォーカリストを探していたリッチーに紹介された。アンダーウッドがリッチーと共演経験という縁があったのだ。
エピソード・シックスの同僚だったロジャー・グローヴァー(b)もバーターで(いや、テクニックも買われて)ディープ・パープル正式加入。初のレコーディングは『ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』だったが、ハード・ロック路線が確定すると驚異的なハイ・トーン・ヴォイスやスクリーミングで才能を開花させた。
ディープ・パープルを脱退した後は一時期、実業家に転身したが成功せず、1976年に画期的な新バンドを結成して音楽界に復帰した。プログレッシヴでファンキーなジャズ・ロック・バンド、イアン・ギラン・バンドだ。当時は、それほど熱狂的には売れなかったが、近年再評価されつつある名バンドだ。ただ、いつもアンコールにはパープル・ナンバーを求められたのだった。結局二度目の来日の際には、告知の後に突然HR/HMにスタイルを変えた、その名も<ギラン(Gillan)>として、キーボード以外のメンバーを総入れ替えしてやって来た。イアン・ギラン・バンドとしてのチケットを購入したつもりもあってショックだった。ジャズ・ロックのギラン・バンドを観たかったのに〜。
その日の会場の音響は、それ以前もその後も体験した事のない超爆音で、次の日まで難聴気味になった程だった(いや、大げさではなく…)。結局、世間が求めるイアン・ギランは、あくまでも金切り声を上げてシャウトするハード・ロッカーなのだ。


Gillan(怪獣の名前かよ)の後は、なんとブラック・サバスに加入し、悪名高き『悪魔の落とし子』をレコーディング。結局は古巣のディープ・パープルに戻ったが一時リッチーの意向により解雇、ソロ活動を開始。1992年には来日しボトムラインにも出演。その後またまたパープルに復帰、現在に至っている。

なんだか、パープル〜レインボー〜ホワイトスネイク関係ばかりだな…。

あ、スティーヴ・ヴァイがいた。
バークリー出身のエリートで、フランク・ザッパのバンドでデビュー。採譜と難解パートを担当。その後、グラハム・ボネットのアルカトラス(ん?)〜デイヴィッド・リー・ロスのバンド〜ホワイトスネイク(あれっw)とHR/HMの王道を渡り歩いた…

by Kay-C

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