アラン・ホールズワースはロック及びジャズ / フュージョン界で世界的に有名なギタリストだ。名古屋ボトムラインにも何度も出演している。
残念ながら2017年、70歳で他界。彼を来日させていた招聘元でプロ・カメラマンでもある中村尚樹氏から、誰も知らないレアな話題が届いた。貴重な写真&記事、音楽人やギタリスト、アラン・フリークにお奨めの記事、ぜひご覧あれ!
私はSTB139の10周年特別企画のゲスト参加を含め、計6回アラン・ホールズワースを来日させた。日本好きだったアランとはたくさんの思い出がある。そして写真家として自分の大学時代に音楽に浸りきっていた時期の、最大のヒーローだったアランの写真は数万点を有している。まことに光栄なことである。今回は2007年、2度目の私のハンドリングによる来日時に、アランが持ち込んだカスタムメイド・ギターのお話をさせて頂く。これはまさに幻のギターと言ってよい、悲運のカスタムメイドとなったのである。
この時のバンドは、ニュー・トニー・ウィリアムス・ライフタイムのバンド・メイト、アラン・パスクァとの双頭で、ドラムスは2006年同様のチャド・ワッカーマン、ベースはジミー・ハスリップと言うカルテットだった。
アランは長きにわたりヘッドレスのギターを使い続けてきていたが、この幻のカスタムメイドもヘッドレスであった。そしてアランが長いギタリスト人生で使ったギターの中で、明らかに超変わり種であったことは間違いない。ボディーはメタルで、YAMAHAのギター職人、John Gaudesiの作による世界に一台しか存在しないフル・カスタムメイドであった。アランは2006年7月に私が初めてアランを招聘したときに、口頭でこのカスタムメイドについて結構詳しく話してくれたのをよく覚えている。メタル仕上げに見えて(カーボングラファイトに見える実物は、実際にはバスウッド製であった)、そのボディーは空洞があり、ヘッドレスでセイモア・ダンカンのダブルコイルのピックアップに、スタインバーガーのトレモロユニット搭載…。しかしながら実物を見るまで、想像は不可能な逸品であった。私が聞き取った話から想像した手書き予想図をご覧いただければ、想像がいかに難しいものだったかは一目瞭然と思われる。
アランはこのギター、そして作者であるJohn Gaudesiの熱意をとても自慢していた。確かに見た目のインパクトもそうだが、出音はアラン好みの湿ったトーンのサウンドが出ていた。
※アルバム『Wardenclyffe Tower』にも使われた“AH”のロゴのインレイ
しかし、結果的にアランはこのフル・カスタムメイド・ギターを2007年のツアーでしか使わなかった。ワン・ツアー使ってみた結果、いろいろな面で理想ではなかったとのことだったと記憶している。まさに幻のカスタムメイド・ギターとなってしまったのだった。人付き合いはお世辞にも良いと言える人物ではなかったわけだが、やはり独特のこだわりがあったのは確かだ。楽器の材質や細部の仕上げ、アンプの組み合わせ、音色の作り方すべてにアランならではのこだわりがあり、そこには妥協できない人物だった。
その当人に、なぜこのフル・カスタムメイドがお蔵入りの結果になったかを確かめるすべがないのは、残念でならない。
心より冥福を祈り続ける…Naoju
Written and Photo by naoju5155nakamura
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