マイルス・デイヴィスのYouTubeチャンネルで、1969年のライヴ映像がUPされている。『ビッチェズ・ブリュー』レコーディング後のヨーロッパ・ツアー(アルバムのリリースは'70年3月)。11月4日のコペンハーゲンでのステージ。ドキュメンタリー番組などで断片的にしか見られなかったのを、まとめて鑑賞できるのが嬉しい。
1. Directions
2. Miles Runs The Voodoo Down
3. Bitches Brew
4. Agitation
5. I Fall In Love Too Easily
6. Sanctuary
7. It's About That Time/The Theme
マイルスの他、ウェイン・ショーター、チック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネットという、いわゆる“ロスト・クインテット”と呼ばれるバンドだ。
何故そう呼ばれるかと言うと、このメンバーでのスタジオ録音が1曲もないからだそうだ。
それもそのはず、ハービー・ハンコックとロン・カーターがバンドから離れる前後でのレコーディングには、曲単位、あるいはアルバム単位で、マイルスが必要と考えるミュージシャンを追加する事が始まっていたからだ。『イン・ア・サイレント・ウェイ』で大きく貢献したジョー・ザヴィヌルを始め、アルバム限定のメンバーが多くなってくる。
ステージ活動でのメンバーは、たぶん契約の問題もあって変動はあっても、一定期間は固定していた。黄金クインテット後期以降になると、そのステージ・メンバーに、たとえば初のギタリストとして試しにジョー・ベックを加えて演奏させながら発表は(後の編輯盤まで)見送ったり、ジョージ・ベンソンを1曲だけ正規盤(『マイルス・イン・ザ・スカイ』)でリリースしたり、ジョン・マクラフリンのようにアルバム単位で(『イン・ア・サイレント・ウェイ』)参加メンバーにしたり…。その大掛かりヴァージョンの一大プロジェクトが『ビッチェズ・ブリュー』だった。
ロスト・クインテットは、『ビッチェズ・ブリュー』前後の時期にライヴ活動を行なったメンバーで、そういった経緯もあってロスト・クインテットだけでのスタジオ・レコーディングは行われなかった。ただし、この時期、つまりエレクトリック・マイルスの出発点となったコア・メンバーとも言える。
そういう意味で、メンバーの中で唯一エレクトリックだったチック・コリアの存在は大きい。ベースのデイヴ・ホランドはアコースティックを弾いており、演奏もジャズだ。しかし、およそ10ヶ月後のワイト島でのフェスでは、楽器もエレクトリックでロック〜ファンクを導入した演奏になっていた。
一方、今後のバンドの展開を直感したウェイン・ショーターは、『ビッチェズ・ブリュー』のレコーディング後の、コペンハーゲンを含むこのヨーロッパ・ツアーを最後に脱退を考え始め、『イン・ア・サイレント・ウェイ』で共演したジョー・ザヴィヌルとともにウェザー・リポートを結成する事になる。
映像を観ていると、ステージ上でのマイルスと、席に大人しく座ったオーディエンスにギャップを感じる。マイルス本人も違和感を感じ始めていたのだと思う。それと、これは個人的な見解だが、チック・コリアに何となく覇気がないように見える。勘繰り過ぎかな…。
翌'70年3月、フィルモア・ウェストに出演し、いよいよロック世代にアピールし始める。ウェイン・ショーター、マイルス・バンドでの最後のステージだ。4月には新しいサックス奏者スティーヴ・グロスマンと、マイルスのライヴでは初のパーカッショニスト、アイアート・モレイラを含むメンバー(セクステット)となった。6月にはチック・コリア在籍中にも関わらずキース・ジャレットをオルガン奏者として加入させ(セプテット)、フィルモア・イーストに進出する。(こういった、パートを被せてから辞めさせるのは、今後マイルスが使う常套手段になる)
1969年のマイルス・ロスト・クインテットは、ギリギリ“JAZZバンド”と言える最後の姿かも知れない。
by Kay-C
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