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孤高の戦士:エディ・ジョブソン

2009年<UKZ>を招聘し、来日ジャパン・ツアーを取りまとめた中村尚樹氏によるライヴ・レポートとエディ・ジョブソンにフォーカスしたコラムだ。

※名古屋ボトムラインでのライヴは2009年6月9日
エディ・ジョブソン(key,vln)、トレイ・ガン(touch guitar)、アレックス・マハチェク(g)、マルコ・ミネマン(ds)、アーロン・リッパート(vo)

“孤高の戦士”
なぜそんなタイトルなのか…、読み終えて頂ければ納得していただけるだろう。

エディ・ジョブソンは1973年、10代でブライアン・フェリー率いるロキシー・ミュージックに参加し、スーパースター体験をし、その後はフランク・ザッパのバンドを経由して、1978年アルバム・デビューの<UK>に参加した、ブリティッシュ・プログレッシヴ・ロック界のレジェンドの一人である。ジョン・ウェットンから打診されて入った最年少のエディは、デビュー・アルバムでは中心的存在ではなかったが、ビル・ブラッフォードアラン・ホールズワースが抜けて以降は、エディがキーボード&ヴァイオリン演奏、作曲&アレンジ等すべての面において、自らの能力をフルに発揮する場となった。
ブライン・メイしかりで美少年が受けるに日本マーケットにおいて、当時テリー・ボジオとエディ・ジョブソンを有するUKは日本で異常なほどに歓迎されるバンドとなった。ただ、エディーとジョンのフロントマン同士の音楽性の違いもあり、またエゴの強いエディとテリー・ボジオが長続きするはずもなく、トリオ<UK>として1枚のスタジオ録音盤と、日本青年館でのライブ盤のみを残し、1年少々でその短い歴史を閉じる結果だった。 

私は<UKZ>と言うUKの外郭リユニオン・ユニットの来日がエディとの初めてのプロジェクトとなり、その後2つのプロジェクトで一緒し、計3回の来日にかかわった。エディはコントロール・フリーク(管理マニア)として有名だったが、その在り方は3度のプロジェクトで身に染みて分かった。それゆえに私が知る著名アーティストの中で群を抜いて孤立したリーダーだった。 

エディは妥協しないアーティストである。しかし普通アーティストの場合、それは音質だったり楽器編成だったり“音”への拘りなわけだが、エディの場合は、自分の見せ方への徹底した拘りなのである。まず、在米歴8年の私自身これは同意するところだが、徹底的に蛍光灯を嫌う。食事する場合もいくらおいしくても蛍光灯は許されないし、ムーディーで暗めの照明で、顔のディテールとかが見えにくい店を好む。そして薄暗い店内でもサングラスを外すことはない。そしてライブ会場入りして一番最初にすることは、自分がバイオリンを弾く時の立ち位置と、その位置でスケルトンのバイオリンに下から正しいアングルでスポットライトが当たることなのである。 

UKZの東京のメイン・ショウは、ライブハウスではなくホールを強く希望していたので、震災で使用できなくなった歴史的建造物、九段会館で行った。この石造りのヨーロピアンな匂いの残るホールは、エディーの美学にはぴったりだった。余談だがこのツアー初日だった九段会館ホールに“当日”来たメンバーがいた。フライトを逃したトレイ・ガンだった。ローディーの一人を成田に迎えに行かせ事なきを得たが、1000人規模の中ホールとはいえ、まあ手掛けることのないホールコンサートで、トレイのことを心配する暇はどこにもなかった。無事終わったことが救い…。これほど何も覚えていないライブは無い。 

3回中2回のツアー全般通じて痛感したことが、エディがいかに孤立していたかと言う事実だ。徹底したコントロールぶりから逃れるべく、メンバーは出来るだけエディと一緒しようとしない。名前こそ出さないが、あるメンバーは1度としてアフター・ショウの打ち上げには出ず、自分を慕うファンと勝手に出て行ってしまう形で、それに同行するメンバーも少なくなかった。つまりアフター・ショウは私とエディのみのケースも結構あったのである。それだけではない、エディのいない場では結構あからさまに悪口と言える話題で盛り上がるのである。ドイツのどこどこの会場でエディーは…、と言った感じで一人が口火を切ると止まらなくなる。確かにエディのコントロールぶりは度が過ぎる面はあり、私も雇われる側であればやりずらいなととは思った。ただし私の立場は明らかにエディに近い。大勢いるメンバーを滞りなくツアーを終了させるためにコントロールせねばならない立場だからだ。私の場合はアーティストを心地よく操作せねばならないので、見た目はコントロールには見えない。ただ、タイミングや言い方には細心の配慮をしつつ、全員を私の思惑通りに動かさねばならないのである。 

私の見たエディとバンド・メンバーの間にあった障害はまさにベルリンの壁のごとく強大なもので、私は立場上エディを非常にあわれにすら感じた。同時に陰口をいいまくるこのエディのメンバーには1人として尊敬できる人間はいない。雇われた以上現場で陰口を言うべきではない。演奏テクニックがいかに高かろうと、それ以前の人間性の面で大疑問だ。誰だか知りたければ当時の来日メンバーを検索して探してみてほしい。私から言わせれば、間違いなく全員『黒』である。私が音楽プロデュースに復帰しても、エディが従えていたメンバーは一人も信用しないしメンバーに入れない。 

エディの素晴らしいところは、自分が好かれていないことを分かり割り切ったうえで、絶対君主としてやるべきことをやり通していたことである。これは冒頭で紹介した、見せ方に関しても徹底したエディ流の『美学』なのである。美学を通すのに中途半端はあり得ない。徹底してやらねばならないのである。どれだけスタッフやメンバーに嫌われようが…である。 



最後にちょっとやりすぎでは…と感じたエピソードをご紹介しておこう。最後に一緒した中野サンプラザでのケースである。会場入りして全メンバーがサウンド・チェックを待つ中、エディはVIP会員をどこにすわらせるか、約100名分の席指定を自らやったのである。会場のアドミニのマネージャーがどう対処するかの考え方は分かったから、あとはこちらでやりますと言っても、最後まで自力でやり切り、2時間取ってあったサウンド・チェック&リハーサルは30分も残らなかった。 

エディは長きにわたり作曲、プロデュースでライブ活動をしなかった時期にニューヨークに住んでいた。その後はLAに住んだが、ビル・ブラッフォード同様完全にライブ活動から引退し、ニューヨークへと戻っている。そしてクラシックの作曲をメインに活動し、今年はバレエの楽曲を手掛けている。4月にファンクラブが仕込んだ来日の機会があったが、これはコロナウイルスの騒動で現状無期延期状態だ。おそらく2021年4月ではないかと見通している。

最後に“写真家”中村尚樹として、孤高の戦士であるエディに最大限の感謝を示してこのコラムを終えたい。UKZで私が来日をさせた時、かなりのメディアの注目があったことは簡単にご想像いただけよう。エディとはこの来日にあたり、事前にかなりのメールでのコミュニケーションをしていた。そして私がかなり良い写真を撮ることを知ったエディは全ての写真はNaoju Nakamuraに撮らせると決めていたのである。雑誌社が独自に写真家を立てることは許さず、例外なく写真は私のみだったのである。見せ方が命のアーティストにとって、写真こそもっともコントロールを徹底しなければならないことであった。その事実に写真家として最大の敬意と感謝を述べたい。

Written and Photo by naoju5155nakamura

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