バンドとしてのオフコースへ
二人の<オフ・コース>はアルバム『ワインの匂い』をきっかけに、音楽の方向性をバンド・サウンドへと近づけていった。
オフコース『ワインの匂い』
ハイ・ファイ・セットなどと共演したライヴ・コンサートなどを展開しながら、次のアルバム制作へと進んでいく。
1976年に開催されたオフ・コースのソロライヴ「秋ゆく街でⅢ」では、サポート・メンバーであった大間ジロー、清水仁、松尾一彦の3名が正式に紹介された。
この時点ですでにオフ・コースは所属事務所から独立し、「オフコース・カンパニー」を設立しており、バンドとしての体制を整えつつあった。そして、1976年11月、アルバム『SONG IS LOVE』をリリース。この時点で実質的にオフ・コースは5人のバンドとしての活動を本格的に始める。
オフコース『SONG IS LOVE』
1977年8月、シングル「秋の気配」を発売。この作品からアーティスト表記が<オフ・コース>から<オフコース>へと変更される。同年9月、アルバム『JUNKTION』を発表。1978年4月、シングル「あなたのすべて」を発表する。
オフコース『JUNKTION』
禁断の果実「さよなら」
1978年10月、アルバム『FAIRWAY』を発表。このアルバムにより、いわゆる“日本のAOR”の路線が敷かれたのでは?と思えるくらい、5人の繊細かつ都会的なサウンドが形づくられた印象だ。小田は「わりとオーソドックスな感じで作った」というコメントを残しているが、さらにメロディ・ラインやハーモニー・ワークが洗練され、リズムにも多彩なグルーヴ感を際立たせている。
オフコース『FAIRWAY』
1979年、この年から怒涛のシングル・スマッシュヒットが続く。1月「愛を止めないで」、6月「風に吹かれて」をリリース。10月には正式に5人のオフコースとしてのアルバム『Three and Two』を発表。
オフコース『Three and Two』
そして、同年12月、シングル「さよなら」をリリース。
小田は当時のプレスで“「さよなら」はこれまで以上に売れることを強く意識して書いた”と語っている。
原詩では「僕は思わず 君を 抱きしめそうになる」としていたところを、小田は「僕は思わず 君を 抱きしめたくなる」と、間違えて録音してしまったことを後悔していたらしいのだが、私としては“いやいや、小田さん、この詞でなければ、「さよなら」になりませんよ!”と思わず突っ込みたくなってしまうエピソードだ。
「さよなら」のビッグ・ヒットにより、オフコースは大ブレイクを手に入れることになるのだが、それとは裏腹にグループの命運を左右する大転換を迎えてしまう。
オフコース IS LOVE!『BL MUSIC クロストーク vol.03』
リアルタイムの<オフコース>を知るクラさんとSUMMYが当時の音楽シーンを熱く語る!
(次回に続く)
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