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チック・コリア/リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return to Forever)と代表曲「スペイン」

巨匠チック・コリアが2月9日、79歳で死去。世界中に大きな衝撃が走った。死因は、最近発見された稀な癌だという。

キャリアのスタートは、1960年代半ばブルー・ミッチェルやコンガ奏者のモンゴ・サンタマリア、ラテン・ジャズ時代のハービー・マンなどから。イタリア系やスペイン系の血をひく事もあり、ラテンが彼の音楽の基盤にあったようだ。


チック・コリア『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』

1968年3月にはミロスラフ・ヴィトウス、ロイ・ヘインズと名盤『ナウ・ヒー・シングス、ナウ・ヒー・ソブス』を録音。同年9月には、いよいよマイルス・デイヴィスの『キリマンジャロの娘』のレコーディングに参加。6月まで同レコーディングに参加していたハービー・ハンコックに替わりマイルス・バンドのメンバーとなった。次作、1969年の『イン・ア・サイレント・ウェイ』ではジョー・ザヴィヌルとのツイン・キーボードで参加。ツアーではマイルスの<ロスト・クインテット>の一員として活動した。同年の傑作『ビッチェズ・ブリュー』には「スパニッシュ・キー」という曲があり、クレジット上ではマイルス作となっており、1959年『スケッチ・オブ・スペイン』のエレクトリック版とも言われているが、チック・コリアの功績もあるに違いないと思う。

1970年8月ワイト島フェスティバルを最後にマイルス・バンドからチックが去り、一緒にバンドを辞めたデイヴ・ホランドと共に、今度は<サークル>というフリー・ジャズ寄りのバンドを結成した。
フリー・ジャズ要素はマイルス・バンド在籍時のライヴ演奏でも多く聴く事が出来るが、本当に色々な顔を持つミュージシャンだ。翌'71年にはスタンリー・クラーク、マイルス・バンドで共演したアイアート・モレイラらと名盤『リターン・トゥ・フォーエヴァー』を発表(通称“カモメ”)。ラテン色豊かでジャケットのイメージそのままの爽やかな音楽を世に送り出した。それまでに、こういった音はなかったのではないかと思う画期的な作品だ。後にチックは、この<リターン・トゥ・フォーエヴァー>というアルバム・タイトルをグループ名とした。


チック・コリア『リターン・トゥ・フォーエヴァー』

'73年の『ライト・アズ・ア・フェザー』にはチック・コリアの代表曲となる「スペイン」も収録(作曲は'72年)。上記マイルスの『スケッチ・オブ・スペイン』のヴァージョンでも知られるロドリーゴ作曲のアランフエス協奏曲第2楽章をイントロに、あまりに有名なテーマ部分は通常のブルース進行とは全く異なり、異色ながら耳に馴染む珠玉の名曲だ。ラリー・コリエル&スティーヴ・カーンのデュオを始め渡辺香津美やB'zの松本孝弘など世界中のミュージシャンにカヴァーされる名曲となった。歌詞を付けたヴォーカル曲として歌われることもあり、アル・ジャロウ、平原綾香、などがレパートリーにしている。

多才で探究心の強いチックはバンドにも変化を与え、後期にはエレクトリック・ギターを加えてロック色を強くした。アル・ディ・メオラ参加の『浪漫の騎士(1976年)』などはプログレ・ファンにも人気の高いアルバムだ。

1978年にバンドを解散したチックは、アコースティックとエレクトリックの両面で目まぐるしく活躍する。
同年、エディ・ゴメス&スティーヴ・ガッドという鉄壁のリズム隊と旧知のジョー・ファレルによる『フレンズ』を発表。その年のグラミー賞を獲得。1985年には、デイヴ・ウェックル、ジョン・パティトゥッチらと<チック・コリア・エレクトリック・バンド>を結成。圧倒的なテクニックと音楽性で人気を博した。1984年頃には京都の銀閣寺付近に住んでいた事もあり、同バンドの1stアルバムには「Silver Temple」つまり“銀閣寺”というタイトルの曲もある。

日本との関わりと言えば、小曽根真そして上原ひろみとの交流もある。
1995年、上原ひろみ17歳。ヤマハのスタジオで来日公演のリハーサルをしていたチック・コリアと出会い、促されるままピアノを弾くとチックは感銘を受け、その場で即興の共演となった。そればかりか翌日のステージでも共演を果たした。それがチック・コリアとのアルバム『デュエット(2008年)』にも繋がったのだ。

共演者としては、ゲイリー・バートンとのデュオを多く残した。'73年『クリスタル・サイレンス』、'79年『デュエット』、'80年『チック・コリア&ゲイリー・バートン・イン・コンサート』…。そして1997年『ネイティヴ・センス』。同年、チックはゲイリー・バートンと共に名古屋ボトムラインのステージに登場した。数をこなした共演という事もあるが、あれほど完璧にシンクロした演奏は驚愕ものだった。

その間、チックはデイヴ・ウェックル、ジョン・パティトゥッチとのトリオによる<チック・コリア・アコースティック・バンド>での活動や<エレクトリック・バンド><リターン・トゥ・フォーエヴァー>の再結成などもあり、第一線で活躍を続け、2019年には新バンド<スパニッシュ・ハート・バンド>を結成した。


そして、このバンドのアルバムは2020年の第62回グラミー賞「最優秀ラテン・ジャズ・アルバム」を受賞した。
80歳を目前にして、バリバリの現役として活躍していただけに突然の訃報は未だに信じ難い。


チック・コリア『ザ・スパニッシュ・ハート・バンド』
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Chick Corea Live in Barcelona「Spain」

by Kay-C

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